無人島一週間自給自足生活挑戦

無人島一週間自給自足生活挑戦とは…こんなこともしてました~

2008年8月にスタートした無人島での子ども対象プログラム。

瀬戸内海に浮かぶ無人島『松島』(いえしま自然体験センター管理)は…水道・ガス・電気のない島。あるものは広がる海と、深い森。

無人島に渡るのは子どもたち。それまでの生活が一変する環境で、『命』をテーマに一週間の自給自足生活に挑戦するプログラムです。

なぜ無人島なのか?

多くの体験活動、キャンプを企画。そして運営する中で気づいたこと。

『本当に困ったら、きっと大人が助けてくれる』

そんな想いを頭の片隅に残したままの子どもたちがほとんど。『飯盒炊さんを失敗しても、大人が後で食事をくれる』『火がつかなくても、結局大人が手伝ってくれる』『地引網には、こっそり大人が魚を入れてくれる』『大ケガをしたら、救急車が来てくれる』などなど

これは普段の生活でも同じでしょう。『学校に遅れそうになると、おじいちゃんが軽トラで送ってくれる』『水泳教室に忘れ物をしたら、ママが届けれくれる』『靴ひもが結べなくても、先生が結んでくれる』などなど

そしてそれが上手くいかない時は・・・  大人のせいにしちゃったり・・・

無人島一週間自給自足生活では、火おこしも食事作りも、テント設営・食材の魚、貝捕り・着替え・水着やタオル干し・薪ひろい・健康チェック・テント内を衛生に保つことや荷物整理・・・すべて子ども自身のチカラでする必要があります。そこには、もちろん『協力』ということも行われますが・・・基本的には自分自身で行わなければなりません。

大人のせいには・・・できないのです。

そんな味わったことのない体験をするには… 無人島でないといけなかったのです。

無人島一週間自給自足で得られるチカラは

無人島は自由に過ごせる島です。時計も持たない無人島。いつ起きて、いつから食事を作って、いつ海へ行く・・・ すべてグループで話し合って決めます。

なんだか自由な生活で…『学校と違って楽しそう!』という感覚が子どもたちに芽生えます。

ところが・・・楽しいだけでない過酷な現実が… ただ『生きる』というだけのシンプルさが、かえって過酷に。そんな生活で学べることとは

得られるチカラその①■居場所と役割■

意気揚々と無人島に乗り込む子どもたち。

でも生活がスタートすると、そうそう上手くはいきません。

テントが立たない・火がつかない・トイレの水はため池からバケツで50メートル運ぶ・魚が釣れない、とれない・採った貝は小さ過ぎ・良い大きさの薪がない・蚊が多い・カラスが食料を狙っている・クラゲが出るなどなど

とにかく生活の行く手を阻むものだらけ。

だって・・・

いつもの便利さは、これっぽっちもないのだから。

そんな生活で必要なことは…

自分の役割を見つける事。そして見つけた役割が、まわりの仲間から認められ、またその役割を極めたくなる。

そうなのです。

人は誰かから認められたいのです。

そのため、子どもたちは役割をゲットすることに必死になります。

認められた子は、『仲間』という輪に『居場所』を感じます。

つまり居心地がよくなる。

逆に見つけられない子は、当然『居場所』と感じられません。

つまり居心地が悪くなる。

そして…あの現象が・・・  ホームシックです。

役割を見つけられるチカラが、なぜ大切なのか?そんな気づきがあります。

これが大人になっても必要なチカラ。

そんなチカラが、無人島では養えます。

得られるチカラその②■命のありがたさ■

お米と調味料以外の食材は、海の恵みのみ。それが無人島キャンプです。

普段はお腹がすくと、すぐ手が伸びる冷蔵庫。そこには冷たいアイスクリーム。

テーブルの前にじっとしていると、並ぶ食事。そんな生活をしている子も、少なくはないでしょう。

でも無人島では、すべて子ども達自身のチカラで食材を得る必要があります。

魚が捕れないチームは、ごはんと具なしの味噌汁のみ。しかも、これも火がつけばのお話です。

小さな魚一匹を、チームのみんなで少しずつ分けて食べる。

そんな生活を続け、お米一粒も残さないようになっていきます。

少しずつ魚の漁に慣れ、食座も豊富になってくるころ・・・

大切なプログラムを実施します。

非常食として持参した『生きたニワトリ』。

これを食べるか食べないかの話し合いを行います。

殺すか殺さないかではありません。食べるか食べないかです。

しかも多数決では決めません。全員の合意で、食べるか食べないかを決めます。

生き物の命の選択をするわけです。

話し合いは何時間にも及びます。

賛否両論あるプログラムですが、実は結果はどちらでも良いと思っています。

話し合うこと『そのもの』に意味があると思っています。

大人でも、人生の中でこのような話合いをしたことがある人は少ないでしょう。

こんな時代だからこそ、命について…そして答えの出ないことについて、結論をだしてみる経験が

必要なのでは?

得られるチカラその③■ありがとうって■

無人島を離れ、港に着いた子どもたち。

こんな言葉が・・・

「あーー 電気がつく」「あートイレが流れる」「水道から水がでる」

普段の生活では、あまりにも『当たり前』だったことが、そうではない事実に直面します。

火がつくこと、屋根があること、椅子に座れること、網戸があること、お風呂、ガスコンロ、ふとん・・・

それらの当たり前過ぎることに、ありがたさを感じることなく生活をしてきたのです。

どんなに幸せな生活をしてきたのか?

でもそれが実は当たり前ではないことにも気づくのでしょう?

順応性の高い子どもたち。

無人島生活の順応性も高いのですが、普段の生活に戻ると、そこへの順応性も高いのです。

つまり『ありがたさ』を忘れることも、もちろん当然です。

しかし体験した子と、そうでない子の差は歴然です。

ふと『当たり前』が『ありがとう』と思い出す時があるはずです。

そんな『ありがとう』に気付けるのが無人島キャンプです。